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2011-08-28

「名和晃平ーシンセシス」展 (Kohei Nawa ‒ SYNTHESIS)

(ものすごく久しぶりにブログを書いてます。
でも美術館には頻繁とは言えないけど行ってます。)

本日最終日だった「名和晃平ーシンセシス」展に行って参りました。
チケットカウンターは15分待ちになってましたが、
その後は割とゆっくり鑑賞できました。

しかも、生で作品づくりを鑑賞できちゃいました
(最終日にやるのも不思議な感じですが)

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展覧会の入り口で、「1周目はそのままご覧ください」みたいなかんじに
美術館の方がアナウンスされていてたので
手ぶらで入り口の「1.CATALYST」から「2.PRISM」に移動
(番号は最後の部屋を出た時にもらえるマップに載っているものです)

今回2周しなかったのですが、手ぶらで歩いて面白かったのは、
2.PRISMから6.VILLUSのところ。
特に2→3と作品を見て、「実際(ここに)ある」って何なのか、
自分の感じる作品の物理的な重みってどこからきてるのか、
というのを考えさせられました。

2.PRISMには下の写真と同じタイプの作品で、
アクリルボックスのようなものを覗くとサボテンやフランスパン、スニーカーが浮かび上がる作品がありました。

(展覧会のHPから)PixCell[Zebra#2] 2009
Photo: Seiji Toyonaga

最初はそのボックスの中にパンとかが存在しているのか曖昧で、
半信半疑で色々な角度から観察
(そしてパンとか観ている最中に他の人が写る・・・)
しばらくするとボックスの中には「パン」とか「スニーカー」という実体は存在しない
とわかってくる
(でもここですっきりしないのもこの作品のポイントなのかもしれない。
ジェフ・クーンズやデミアン・ハーストの作品なら、「なんでこんな物が入れられてるの??」(牛やらバスケットボールやら・・・)になるところ、今回の作品は、「本当にここにあるの?」がポイントになる点でおもしろい)


これらのプリズムシートの作品を鑑賞し、
なんだかすっきりしない中次の部屋へ。

そして現れるのが展覧会のポスターにもなっている
ビーズで覆われた鹿の作品たち

(展覧会のHPから)PixCell-Elk#2 2009
Photo: Seiji Toyonaga

なぜかリアリティを感じる

表面はビーズで覆われてしまい、その表皮の下にあるもを直接観察することはできないのに。
ビーズをのぞき込んで、その澄んだビーズの向こう側にあるのは剥製の、実体のある鹿なんだという実感がある。
一本一本の毛はプリズムシートの創る虚構なんかじゃない

では、パンは「なかった」といえるのか。
とりあえず、私の脳は「食べられる(カビが生えてるかもしれない)パン」は
ここにはないと判断しました。
でも「パン」というものは知覚していたわけで、
ある意味パンはそこにあったのですね。


シンセシスとは・・・?

展覧会HPの概要に、

「名和は「映像の細胞PixCell=Pixel(画素)+Cell(細胞・器)」という概念を通して、感性と物質の交流の中から生じてくるイメージを追求しています。」

と述べられていますが、
私たちが最終的に知覚しているものは、単に目に映ったものではなく、
自分の中にある様々なフィルターみたいなものを通してできあがった
作品なんですね。

パンがそこに「ある」かどうかは別として・・・
art to art, English to Japanese, etc...