そんな北斎がNHKの日曜美術館に登場
(私、北斎ってあんなに多産で多様な作品を残した方だって知りませんでした。)
いろんな作品が紹介されていましたが、やはり代表作『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』は構成、波頭の形等興味深い点がたくさんありますし、北斎の最高傑作というに相応しい作品だと思います
富士山と北斎
古代から日本には山岳信仰がありますが、江戸時代後期には富士信仰の一派である富士講が大流行したようで、江戸では「江戸八百八講、講中八万人」などと言われていたようです。また神社参詣も盛んになり、庶民も伊勢神宮に詣でる御蔭参りだなんだと理由をつけて旅行に出ていたので途中富士を間近でみることもあったでしょう。
(新詳日本史によると1830年には約500万人もの人が御蔭参りにいったとか...すごい数!)
これだけ富士山がもてはやされていた時ですから、北斎もそれに便乗したとも考えられますが、生涯絵師として精進し続けた北斎にとっては単に人気のある題材というだけでなくもっと精神的重要性があったのかもしれません。
(北斎と妙見信仰については「カオスを描いた北斎の謎 第20回 北極星から取った北斎の号 - 方位、方角を尊び守る妙見信仰に基づいた命名」で触れられています)
「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」とその他の作品
下はカオスを描いた北斎の謎で紹介されている「おしおくりはとうつうせんのづ」です。画面左に大きく描かれた大波の構図なんかは『神奈川沖浪裏』を彷彿とさせるものがありますが、これには富士は描かれていません。また、内田氏の言うように波はまるで蛤の化け物の様です
「おしおくりはとうつうせんのづ」
東京国立博物館蔵. 1800年(もしくは1804年)

『冨嶽百景』二編9丁より「海上の不二」. 二編は1835年刊行
東京国立博物館蔵. 1800年(もしくは1804年)

『冨嶽百景』二編9丁より「海上の不二」. 二編は1835年刊行
『冨嶽三十六景』の初版は1823年頃に制作が始まり、1833年頃頃完結しているので図案ができたのは『海上の不二』の方が『神奈川沖浪裏』より後なのかもしれません。
「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」1830年頃
関連リンク:
日経ビジネス オンライン|カオスを描いた北斎の謎
「90歳の生涯で膨大な作品を残した葛飾北斎。驚くべき体力と精神力の持ち主であった彼は、70歳を過ぎてから代表作『富嶽三十六景』シリーズを制作し、その後、長野県・小布施を訪れて、宇宙の混沌(カオス)を描いたかのような傑作を80代半ばに完成させた。なぜ北斎はカオスを描いたのか。『富嶽三十六景』の制作の頃から追って、その謎の真相に迫る。」
葛飾北斎《冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」》─線を引きたくなる絵「大久保純一」
(*番組内でやっていた画面の構図分析みたいな図もみれます)



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